産業保健コラム

廣瀬 一郎 相談員

    • カウンセリング
    • カウンセリングルームこころの栞 主宰カウンセラー
      ■専門内容:カウンセリング全般
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人生のシナリオに潜むキャリア

2017年11月


 自分の人生に脚本(シナリオ)があるなどと、考えたことがある人は恐らく少ないだろう。

 無意識のうちに、しかも、当然のこととして頭や心の中に蓄えている考え、これらを交流分析の中では、『脚本』(=人生のシナリオ)と呼んでいる。

 ‘早期の決断に基づいた無意識の人生のパターン’
 今回はこの『脚本』から浮かび上がる「キャリア」について考えてみたい。

 ところで、私自身は「作業」→「仕事」→「職業」をひとつの流れとして考えている。そして、これらを次のように定義付けている。

 「作業」は、言われたことをコツコツと繰り返し、正確にやっていくこと。
 「仕事」は、成果を伴うこと。「作業」をした結果、必ず成果が上がること。
 「職業」は、自ら率先、企画をして「作業」をし「仕事」をし、維持して成果をだすこと。

 一般的に「キャリア」というと、職歴のようにとられがちだが、無職のときは「無職」というキャリアが積まれているのだと、まずは知ってほしい。生まれてからずっと、自分のキャリアを積み上げていて、その蓄積が今の状態だといっていい。分かりやすく言えば、目的地へむかう馬車(コーチ)が通った後に残る『轍(わだち)』・『痕跡』のようなもので、人それぞれ形の違う連続した「キャリア」をもち、積み上げて生きている。

 「○○のように生きてみたい。」と誰かに憧れても、得てして同じようには生きていけないものだが、それは、人がそれぞれ別の脚本を元に生きているからだと考えれば腑に落ちるのではないだろうか。
 誰も真似ができない人生、そういう意味では、誰の人生も非常にドラマティック(劇的)だ。

 そんな人生を操る脚本は、無意識下にあるため、残念なことに何かが起こらない限り、その存在に気づきえないし、万が一、生きている間に『気づき』の機会を得なければ、成長や変化が起こらないということにもなりえる。

 例えば、何回も同じような問題が起きているのに、それでもなお、自分が幼いときの決断をもとに書いた「脚本」通りに合わせてしまう。そこに擦り合わせるように正当化し、それによってさらに定義を深め(これを再定義という)、「自分の生き方は間違いない」と生きていく。

 同じことをしていながら、違う結果を求めることは難しいというのに。

 「自分は間違っている」と自ら定義付けして生きている人も多い。「反省」というフレーズを口にすることで、その事件を終わらせてしまうため、当然の結果、何も変わらずにまた同じことがやってくる。結局のところ、気づきのない人生を一生送ることになる。

 人は、それぞれの慣れ親しんだ数多くのパターンがある。
 いざ決めようと思ったら、なぜか先送りしてしまう人。
 「実は、私って慎重なの。」などと正当化してしまう人。
 これらはその一例といえるだろう。

 「キャリア」が仕事や職業に限らない、個人の生涯に渡るライフ・スタイル(生き方)なのに対し、職業経歴は「歴」という字がつくように、私たちの歴史だといっていいだろう。

 その職業を選択しようとしている理由は何か。あるいはそうなりたいと、なぜ思うのか。
 みなさんの根底に流れるもの、このテーマをどうか考えて見てほしい。

 出来事と出来事の間には意味があり、関わりが見出せないことは混乱を呼ぶ。
 例えば、失業を繰り返していたとしても、それぞれの事柄に脈絡があれば、それは筋として繋がっていく。これこそが「金の糸」だ。「金の糸」が繋がっていけば、それはその人の人生のテーマになるだろう。

 資格を次から次へと取っても、取っただけではそれはただ試行錯誤の人生に終わってしまうだろう。後付けでもいい。その中に意味を見いだすことができたなら、ストーリーが成立し、つながっていく。

 「これが私のやりたいことだ。私は、私らしく生きる」とアイデンティティを連続させ、確かな「金の糸」でつむいでいくことができる。そんな生き方ができれば「シナリオ」が良い意味で「キャリア」に反映すると思っている。

産業保健相談員 廣瀬 一郎(カウンセリング)

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