産業保健コラム

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治療と仕事の両立 人の役割について~看護師経験を経て~

2020年09月


今や、「日本人男性の二人に一人、日本人女性の三人に一人が、一生のどこかで、がんと診断される時代」です。がんは日本人の死亡原因第一位の疾患であり、現代の日本人にとって、最も人生を左右する疾患の一つといっても過言ではありません。
がんは高齢者の病気として、捉えがちではありますが、患者の約3割は就労世代です。はじめてがんと診断される就労世代は年間30万人以上とも言われています。生活習慣病患者の増加、就労人口の罹患率の増加に伴い、今後治療をしながら働く人は増加すると予測されます。

私が看護師として病棟で働いていた頃、ある男性を担当しました。
20代の会社員の男性で仕事を始めたばかりの方でした。数日間、風邪症状が続いていたため、仕事の休憩時間にバイクに乗って病院へ向かい、受診。そして、その数時間後に、「白血病」と告げられました。「え?白血病?」心の準備もできていないまま、すぐに抗癌剤が腕に繋がれ、無菌室という閉ざされた空間の中での闘病生活が始まりました。「なんで僕がこんなことに。」と強い嘔気、嘔吐、倦怠感、発熱などの繰り返し襲ってくる副作用や合併症と闘う日々。
約3か月もの間、その男性のバイクは病院の駐輪場に置かれたままで埃をかぶり、病室のロッカーの上には、ヘルメットがぽつんと置かれていました。その間、髪は抜け落ち、皮膚はぼろぼろ、体重は約10キロも減少、歩くのもやっとの身体になっていました。
退院間近になると、看護師は患者さんの退院後の目標を一緒に立案します。目標を明確にすることが日々のリハビリの原動力へと繋がるからです。その男性の退院後の目標は、「前のように働くこと。」でした。男性は入院中会社の上司や同僚から「元気になって戻ってきてね。」と励まされ、それが闘病意欲へと繋がっていたそうです。そして、退院後も副作用に耐えながら、懸命にリハビリを行い、会社の支えもあって、1年後には元の会社へ復職することができました。男性はある時病棟を覗きにきて、笑顔で報告してくれたのを覚えています。
入院患者の方には、孤独感に苛まれてしまう方が多いでしょう。「なぜ自分だけこんな病気になってしまったのだろう。」と特に若い患者さんは感じることが多いかと思います。そんな時に、必要な物は「人の温もり」ではないでしょうか。誰かのそばにいる、誰かと心が繋がっている、そして自分の居場所があることが心を落ち着かせます。そして、自分の居場所とは「自分の役割のある場所」と言えるかも知れません。社会の中に「役割」を見いだすことが出来れば、自分の居場所が見つかり、途方に暮れる程の孤独感からも少しは解放されるのではないかと感じます。そして人は人の役に立てた時が、何よりも強く満足します。「役割」とは、お金や時間には代えられない「生きる喜び」でもあるからなのだと思います。

さっきまで強い倦怠感の中ベッドに倒れ込むように寝ていた患者さんが、会社の部下が面会に来るとすっと起き上がり、笑顔で「仕事は大丈夫か?みんな元気か?」と話をしていました。またある人は、抗癌剤治療の次の日には、笑顔で「じゃ、仕事に行ってくるよ。」と病衣からスーツに着替えてそのまま出勤する患者さんもいました。彼らの「役割」が生きる喜びであり、闘病意欲に繋がっているように思えました。
しかし、残念ながらまだ「がんになったら働けない」といった偏ったイメージと誤解は多くあります。検査、告知、治療の荒波に飲み込まれ、いつの間にか不本意に自分の役割を失ってしまった、という人が多くいらっしゃいます。現在の日本の社会において、がんの治療や検査のために2週間に一度程度病院に通う必要がある場合、働きつづけられる環境だと思うか」の問いに64.5%の人が「そう思わない」と回答しています。まだまだ社会の中でがん治療と就労の両立は困難という認識が一般的です。がん患者は診断後に40% が離職し、離職した患者の再就職率は9%程度と言われています。
しかし、実際には医療の進歩に伴い、復職できる患者は増えているのです。がんの種類別にみて、復職率が高めなのは、男性生殖器癌、胃がん、女性生殖器癌、乳がん、結腸、直腸がん、尿路系腫で企業が1年待てば約7割から8割の社員が復職できると推定しています。一方、血液系腫瘍、食道がん、肺がん、肝胆膵癌は低めですが、これらのがんであっても企業が1年待てば4割の社員が復職できていると推定されます。
 誰しも、ある日突然にがんと診断される可能性はあります。少しでも多くの方が、自分の居場所や役割を見失うことなく治療と就労を両立できる社会を目指し、私たちは少しでも出来る限りのことを精一杯行っていきたいと思います。世の中はコロナ禍で大変な時代ですが、病気になっても人が生きる喜びをもつことが出来る世の中であってほしいと思います。企業の皆様、医療現場の皆様にも是非その後押しをお願いしたいと思います。
治療と仕事が普通にできる社会を目指して、今後ともお力添えのほど、よろしくお願い申し上げます。

産業保健専門職 福田 せいら

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