産業保健コラム

田中 朋子 相談員

『ほんものの自己』を発見する

2021年11月


先日、がんセンターの待合室で見かけた高齢のご夫婦の姿が印象的であった。時間は18時ころで、人影はまばら、ひっそりと二人で手を握り合って、どこを見るともなく肩を寄せ合っている。正面の大型のテレビではオリンピックの賑やかな中継が映し出されている。
強く握った手から、いつまでも現世に留めておこうという意思を感じた。また残された二人の時間をどう使えばよいのか途方にくれているようでもあった。

以前に見た「ラストトラベル」というドキュメンタリーを思い出した。どこの国かおぼろであるが、ホスピス入所者の死期が迫ってから、最期に行きたい思い出の地に連れて行ってくれる実話であった。医師を始め看護師や各種療法士数人が酸素吸入をしながら、点滴をしながら、さらに最悪時への準備をして同行することもある。息絶え絶えながらも、伴侶と思い出の地で夕陽を眺めたり、懐かしいランチを味わったりするとき、穏やかな笑顔が見られ人間の尊厳を取り戻し、病人ではなく一人の人として存在していることに感動を覚えた。その人らしい最期の迎え方がある、いや最期まで「その人」であることの重要性をみた。

また、最近何気なくみつけた「ライオンのおやつ」というテレビドラマがある。ある島のホスピス入居者が自分の思い出のおやつをリクエストできるティタイム「おやつの時間」。
死に瀕した人、という色メガネでみられることなく、普通に対応するスタッフや入居者たち。
いつの日か必ず、誰にも訪れる「死」に対する迎え方を見直す機会となった。

「死ぬ瞬間」で「死の受容5段階モデル」を提唱したキュープラ・ロス博士の最後の著書「ライフ・レッスン」では、著者自身が「『生とその過程』、つまり人生と生きかたについての本」を表したと語っている。「恐れのレッスン、罪悪感のレッスン、怒りのレッスン、許しのレッスン、明け渡しのレッスン、時間のレッスン、忍耐のレッスン、愛のレッスン、人間関係のレッスン、遊びのレッスン、喪失のレッスン、力のレッスン、「ほんものの自己」のレッスン、そして幸福のレッスン」。

私は「役割」があると何となく落ち着いて、そこに居られる自分に気づいている。それによって「ほんもの自己」を曝け出さなくてすむから。「役割」を演じていれば、他者からも受け入れられると何処かで学んで来たようだ。「いつになったら」「どこでなら」本物の自己になるのだろう?と思うようになった。

「ほんもの自己」、その姿さえわからない、というのが実際のようでもある。
私にとっての当面の課題は、「自分のことは置いといて」という人生から抜け出すことである。その他大勢ではなく、「田中朋子」として生きる、それが幸福への道だと思う。「いい子ちゃん」という役割に固執することなく生きる、自分がしたいことを優先する生き方、恐らく他者に対しても「その人らしい生き方」を認めることができると思われる。

夕暮れの中の高齢のご夫婦、固く結ばれた手から学んだことである。

産業保健相談員 田中 朋子(保健師)

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