2022年06月
「仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6か月以上続けて自宅にひきこもっている状態」―これは厚生労働省の政策レポートに記された『ひきこもり』の定義である。『ひきこもり』は良くないとされ、積極的なひきこもり施策が為される一方で、それをあたかも理想的だとさえ据えた生活スタイルが、数年来求められていた事に改めてこれまでの非日常性を感じている。
「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない」というのは、相対性理論で有名な物理学者アルベルト・アインシュタインの言葉だ。あまりにも突然に、また半ば強引にやってきた、『外出時はマスク着用』という習慣が、大人にとってはあくまでも一時的なものである一方で、いわゆる18歳未満の未成年においては、ひとつの偏見のコレクションとして加わった可能性は否定できない。
発達心理学者のエリクソンは、人間の発達段階を8つに区分し、それぞれの段階において超えるべき課題を示している。とりわけ13歳~20歳の青年期においては、“自分とは何者か?”というアイデンティティの揺らぎに直面し、その形成を通じて成長していくとされる。「マスクを外したくない」、「このままがいい」と、手放すことに躊躇いを隠せない世代と重なるようにも感じる。揺らぎを隠す、その手段として、あるいは何かから守られた感覚として、マスク着用という降ってわいた『常識』に、ある種の心地よさを見いだした人がいるのは事実だろう。わたしたちの『常識』は、自身が経験した環境に育まれ、上書きされていく。またそれは、その時、皆さんがどのような発達段階にいたのか(何歳頃だったのか)、何をしていたのかによっても変わってくるだろう。
私が各所でカウンセリングに携わる中、様々なハラスメント問題に直面することがある。そんな時、わたしの頭の中にキーワードとして浮かぶのがこの『常識』の相違だ。世代間ギャップはその分かりやすい例の一つといえる。『常識』的ではない自分、ダメな自分というレッテルに、人は悩み、傷つき、追いこまれてしまう。とはいえ、どうだろうか。ここで『常識』について述べてきたが、この基準のあいまいさに皆さんお気づきになられただろう。『常識』をはじめ、『普通は』『一般的には』といった言葉に縛られないでほしい。一年後にはまた違った、いわゆる『常識』が出てくるのだから。
人生は、実際生きてみると意外と簡単にも思える。しかし、“一瞬先は闇”とも例えられるように、予期せぬことが次々と起こるのもまた人生である。もし、このような人生を多少とも予測が出来、対応の準備(常識的予知)ができておれば、ああしておけばよかった、こうしておけばよかった等の後悔の気持ちを少しでも減らすことができるのではないか。そう考えてみると先見性と肯定的認知力を新たな常識として身につけておくことは積極的対策になるだろう。
産業保健相談員 廣瀬 一郎(カウンセリング)
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