産業保健コラム

門田 聖子 相談員

    • カウンセリング
    • シニア産業カウンセラー
      ■専門内容:カウンセリング全般・治療と仕事の両立支援
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母性と父性をそなえ、そしてダイヤモンドを石のようにみせる

2024年03月


母性と父性、その両方を備えることができれば、それは最強、鬼に金棒と言えるのではないだろうか。小児科医である、渡辺久子氏が書かれた文章に、カウンセラーのありようを重ね合わせ、とても共鳴を受けた。ただ、このありようは、カウンセラーだけでなく、部下を育む上司としてのありようにも、通じるものがあると思われる。

本人が持つ資源では、問題が解決しない、あるいは身動きがとれない、理由もわからない生きづらさを感じる時に、カウンセラーという存在に遭遇することが多い。無力である体内の赤ちゃんを育む両親の母性、父性と、こころのエネルギーが不足しているクライエントを包み込む、カウンセラーの“受容(アクセプタンス)”が重なった。

渡辺氏は、羊水は母親、子宮を父親と表現している。母性といえる羊水は、一言も恩着せがましいことも言わず、いつ何時も暖かいぬくもりで裏切ることなく赤ちゃんを抱きかかえる。赤ちゃんが生意気に蹴っ飛ばしたとしても、羊水は蹴っ飛ばされたまま、子宮壁にぶつかって、もう1回しっかりと胎児を包みなおす。そして、自己の母性が母性として機能できるのは、子宮という父性があるからだと。実際には、赤ちゃんにかかりっきりになっている母親は、もし暴漢に襲われてもそこから逃げることができないとても弱い状態あるため、その母子を守るのがそばにいる父親ということになる。

カウンセリングの場面を想定すると、クライエントがずっと沈黙をする、カウンセラーの質問を上手くすり抜け、ずれた発言をして自己を防衛する、防衛や恐怖からか、例えば「いきなり土足で私のこころに入り込まないで!」と口撃をするようなことであろうか。これが、赤ちゃんが蹴っ飛ばすことに等しい。クライエントがどのような状況、心情であろうと、無条件にありのままを受け容れ、優しく包み込む。これが子宮壁にぶつかり、もう1回胎児を包みなおすことに等しいように思う。「会社に行けなくなるぎりぎりまで、誰にも頼らず、一人で持ち応えようと踏んばったんですね」という表現になるだろうか。おそらく、この子宮壁というものは、固すぎず、柔軟性、弾力性があり、強さを持ち合わせているであろう。同じく、カウンセラーのこころにおいても同様である。上司と部下の関係に置き換えると、成果を上げようが、失敗をしようが、評価をせず、ありのままを受け容れ、こころの健康をケアしたり、仕事の指示やサポートをしたりと、母性と父性を使うことができると、部下は“私は何をしても大丈夫(安全)だ”と、健やかに、あるいはすくすくと成長するのではないだろうか。

そして、カウンセラーや上司が持つ専門性がダイヤモンドであったとしても、それをむき出しにして表現したりせず、私はただの石だとして、手柄をクライエントや部下のものとして、一言も恩着せがましいことを言わない、奥ゆかしい黒子のような存在になりたいものである。

引用文献:渡辺久子「子育て支援と世代間伝達 母子相互作用と心のケア」145,147p

門田 聖子 産業保健相談員

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