2025年05月
謙遜(けんそん)…へりくだること。控え目なつつましい態度でふるまうこと。とりわけ、わたしたち日本人はこの言葉の意味を無意識的に、はき違えてしまっているように感じる事があります。無意識的にと書いたのはおそらく自覚がないのだろうという意味合いです。
「素敵なお洋服ですね、とてもよくお似合いです」
「いえいえ、とんでもない、やめてくださいよ。安物ですし」
こうしたやりとりを聞いても、大きな違和感を覚える方は少ないのではないしょうか。これが一つの証左です。
相手を立てるならば、その称賛を否定すべきではありません。むしろその言葉をありがたく頂戴するのが良質なマナーだともいえます。少なくとも相手の言葉を全否定するのは正しい尊重だとは言えないでしょう。加えて、わたしたちは、「立てる相手」のいない場合でも、自分をへりくだる癖がついているように思います。そしてひいてはそれが、自分を自分で“ディスる”という現象にまで及んでいる気がしてなりません。
自分自身をdisrespect(軽視・侮辱)したり、discount(過小評価)してしまう――つまり、自分の価値を認められず、自分を否定的に見てしまう状態――には、様々な心理的背景があるでしょう。例えば、過去に自己否定的な経験をしていたり、受けていたり、あるいは自身に完璧主義の傾向があったり、SNSで他人と比べてしまったり、承認欲求への裏返しかもしれません。
「自分がだめであることに関しては自分がよく分かっている」という、ある種の強い自己愛がそこには見え隠れします。自分自身を否定し続けることはまた、自分自身について思いを馳せ続けていることにもつながるといえます。斎藤環(2022)は、この逆説的な感情を『自傷的自己愛』と表現しています。
「自分には生きている価値がない」といった言葉を発すれば、あるいはSNSに書き込めば、それは目に見えるテキストとして自分自身の脳の中により強固にインプリント(刷り込み)されていきます。自分自身への言葉の暴力となり、自傷行為となるでしょう。
もちろん自分を過小評価することは誰にでもあります。ただ、それが慢性的になっていると、自分の日々に、大きくは人生にブレーキをかけ続けてしまいます。自己否定はいわゆる「悪い性格」ではなく、心の疲れや過去の痛みが引き起こす自然な反応でもあります。
まずは(自己否定してしまう)「そんな自分でもいい」と思えること、すべてを自分として受け入れ、認めること、それが第一歩です。褒められたら否定ではなく「ありがとうございます」と言ってみませんか。健全な自己愛はそんな習慣ひとつから醸成されていくように思います。
「素敵なお洋服ですね、とてもよくお似合いです」
「ありがとうございます!そう思って私も購入しましてね。うれしいです。」
産業保健相談員 廣瀬 一郎(カウンセリング)
メンタルヘルスに関する様々なサポートについてのサイトです