産業保健コラム

臼井 繁幸 相談員

    • 労働衛生工学
    • 第一種作業環境測定士 労働衛生コンサルタント
      ■専門内容:労働衛生工学
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自分の健康は自分で守る(自己保健義務)

2023年11月


Aさんは、会社の一般定期健康診断を受診したところ、「高血圧で治療が必要」との結果通知がきました。
しかし、特に身体に不具合がないことや、忙しさにかまけて医療機関を受診しませんでした。また、日常生活における食生活や運動習慣等についての保健指導も受けましたが、実行していませんでした。
このため、毎年の健康診断で「高血圧」を指摘され指導も受けていましたが、今まで何もなかったからと、何年間も医療機関を受診せずに放置し続けていました。
その後に、就業時間中に脳血管障害(脳卒中)で亡くなりました。
ご遺族は、労災申請すると共に、会社に損害賠償請求の訴訟を起こしました。

このような事例の場合、どのような結果になることが想定されるのでしょうか。
損害賠償請求(民亊)では、会社が安全(健康)配慮義務を果たしていたか、また労働者は自己保健義務を果たしていたかが争点となります。
今回は、労働者の自己保健義務に的を絞ってお話します。

会社には、安全(健康)配慮義務があり、労働者には自己保健義務があると言われています。
この法的根拠は、どこにあるのでしょうか。
労働者が会社に雇われる時に、雇用契約(労基法等では労働契約)が結ばれます。
これは、労働者が使用者(会社、事業者)のもとで労働に従事し、使用者は賃金を労働者に支払うことを約束する契約です(民法第623条)。

この契約は、「労働に従事します」、「給料を払います」という双務契約ですが、契約書に明記がなくても、信義則(下記)に基づく付随義務として、使用者には安全(健康)配慮義務があることが、最高裁判例で示されています(判例法理)。

民法 第1条第2項
権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。

労働契約法第3条第4項
労働者及び使用者は、労働契約を遵守するとともに、信義に従い誠実に、権利を行使し、及び義務を履行しなければならない。

この内容が平成19年に成立した労働契約法第5条に明文化され、法律上の根拠も明確となりました。

労働契約法第5条
使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することが出来るよう、必要な配慮をするものとする。

このように使用者には、安全(健康)配慮義務が生じることになりますが、労働契約は双務契約ですので、もう一方の当事者である労働者には、どのような義務が生じるのでしょうか。
それは、「労働に従事します」という労務提供義務であり、このためには相応の「身心の健康維持」が必要となってきます。
常に身心の健康を維持し、使用者(会社)に対して十分な労働力を提供する「自己保健義務」です。労働者自らが健康に業務に従事できるように、できる限りのことをする義務とも言えます。

また、職場の安全衛生管理は、使用者(会社)が必要な措置(取組み)を実施することが先決ですが、それだけでは十分な効果が出ません。労働者の協力が必須です。
特に健康管理は、労働者自身の身体や心のことであり、健康診断を受診し健診後の事後措置・指導を守ること等のように、労働者自身が自分の健康を自分で保持する行動をとらないと、使用者だけでは十分な効果は期待できません。

使用者が、業務軽減や残業禁止等をし、あるいは療養に専念するよう指示したとしても、これを実現するのは、労働者自身です。
健康診断で、高血圧と指摘されれば、自ら医療機関を受診する、食生活や運動等の生活習慣の見直しをする等、自分の健康を自分自身で管理することが必要です。
労働者の健康確保には、労働者が自己保健義務を果たすことが非常に重要です。
労働者に、どこまで自己保健義務を求めるかは、社会情勢でも変わり、裁判所が判断します。
それはともかく、労働者は、自己保健義務の基本的内容をよく理解し、守ることが必要で、安衛法ではどのように規定されているかを見ていきましょう。

1. 事業者の講じる措置に協力するように努めなければならない
安衛法第3条で、事業者等の責務で、労働者の安全と健康を確保すること、第4条で、労働者は事業者の講じる措置に協力する義務(努力)を定めています。

安衛法第4条
労働者は、労働災害を防止するため必要な事項を守るほか、事業者その他の関係者が実施する労働災害の防止に関する措置に協力するように努めなければならない。

2. 事業者の講じる危険、健康障害防止措置で必要な事項を守ること

安衛法第26条
労働者は、事業者が労働者の危険又は健康障害を防止するための措置(第20~25条)で、必要な事項を守らなければならない。
会社だけの配慮では健康確保ができない → 労働者の協力が必須。

3. 事業者が行なう健康診断を受けなければならない(健康診断受診義務)

安衛法第66条第5項
労働者は、事業者が行なう健康診断を受けなければならない。ただし、事業者の指定した医師等が行なう健康診断を受けることを希望しない場合において、法定項目について他の医師等の行なう健康診断を受け、その結果を証明する書面を事業者に提出したときは、この限りでない。

労働者には受診義務があるものの、必ずしも会社が指定する健康診断を受けなければいけないわけではなく、法定の診断項目であれば、どの医師に受診するかは自由(医師選択の自由)なのです。

4. 健康診断の結果や保健指導を利用して健康の保持に努めなければならない

安衛法第66条の7第2項
労働者は、通知された健康診断の結果及び保健指導を利用して、その健康の保持に努めるものとする。

5. 事業者が行なう健康教育、健康相談、その他の健康保持増進措置を利用して、健康の保持増進に努めなければならない。

安衛法第69条第2項
労働者は、前項の事業者が講ずる措置を利用して、その健康の保持増進に努めるものとする。

これは、自己保健義務の大前提となる条文です。

自己保健義務の具体的な内容は、「事業場における労働者の健康保持増進のための指針・THP」で、以下のように規定されています。

事業場における労働者の健康保持増進のための指針(抜粋)
労働者の健康の保持増進には、労働者が自主的、自発的に取り組むことが重要である。しかし、労働者の働く職場には労働者自身の力だけでは取り除くことができない疾病増悪要因、ストレス要因等が存在しているため、労働者の健康を保持増進していくためには、労働者の自助努力に加えて、事業者の行う健康管理の積極的推進が必要である。
その健康管理も単に健康障害を防止するという観点のみならず、更に一歩進んで、労働生活の全期間を通じて継続的かつ計画的に心身両面にわたる積極的な健康保持増進を目指したものでなければならず、生活習慣病の発症や重症化の予防のために保健事業を実施している医療保険者と連携したコラボヘルスの推進に積極的に取り組んでいく必要がある。

ただし、自己保健義務に関する取り組みを実施する場合は、強要したり強制的に参加させたりすることがないように気をつける必要があります。
誰もが自主的に参加できるような工夫が必要です。

さらに以下のような具体的な自己保健義務があります。

6. 自覚症状の申告義務
労働者は、自覚症状(業務に支障の生じるおそれがあるもの等)があるときは、会社に申告する必要があります。

自覚症状は、本人からの申告がなければ気づくことができません。
就労に不利になったらいけないと、体調不良等の自覚症状を隠したり、偽って答えたりすると、会社は労働者に必要な配慮ができなくなってしまいます。

会社の安全(健康)配慮義務は、予見が可能な状態であった(知ることができた)時に発生します。
申告があれば当然知ることができますので、必要な配慮を講じる義務が生じます。
参考→ストレスチェックでの「高ストレス者」との判定結果は、労働者からの申し出がない限り、事業者にはわかりません。
従って事業者には、労働者からの申し出があった時点で、医師による面接指導等の義務が生じることになります。

安衛法第44条による健康診断には、自覚症状の有無についての健診項目があり、自覚症状の適正な申告が求められています。
問診時(問診表)に申告がなければ、使用者(会社)による配慮が困難になります。
しかし、次のような最高裁判決(平成26年)もありますので留意が必要です。
「メンタルに関する通院、病名、薬剤等の情報は、プライバシーに属する情報なので
申告がなかったことをもって、労働者の過失と見ることはできない」としています。

7. 私生活上でも健康維持・増進する義務
法的根拠は、前記4の「健康診断の結果や保健指導を利用して健康の保持」(安衛法第66条第7項)と、前記5の「健康教育、健康相談等を利用しての健康の保持増進」(安衛法第69条第2項)です。

会社の措置(施策)を利用し、労働者自らが自分の健康保持・増進に努めることを義務付けています。仕事と私生活には繋がりがあります。
労働者の健康状態は、労務提供(仕事)にも大きな影響を与えますので、業務に支障を来たさないように、私生活上の健康管理も必要になります。

名古屋地裁判決(昭和56年)では、「労務指揮等に関係がない場面(私生活)における健康確保は、労働者自身がその責任においてなすべき事柄であり、本来自己の体調の異常や健康障害の兆は、特段の事情がない限り、自己が真先に気付くものであり、これに基づいて本人自らが健康管理の配慮をするものである」と判示しています。

従って、労働者は、会社に勤務している時間だけでなく、私生活上の健康管理(栄養、睡眠、運動、規則正しい生活習慣等)に努めることも必要になります。
(私生活の乱れが原因で病気を招くこともあるため)
例えば、高血圧が指摘された場合は、食生活に気を付けたり適度な運動習慣をつけたり、呼吸器の病気を指摘された場合は、禁煙に努めたりする必要があります。栄養・睡眠・運動・喫煙・飲酒等の生活習慣を見直したり、可能な限りのセルフケア(セルフメディケーション)も必要になります。

8. 健康管理措置への協力義務
事業者が実施する健康管理措置に対し、労働者は協力する義務があります。前記の2と5の具体的内容です。労働者の協力内容例としては、事業者が定めるルールを守る、衛生委員会へ積極的に参加する、社内外を問わず健康増進に努める等々、さまざまな協力があります。
労働者が自らのためと思い積極的に協力しなければ、職場の健康管理は達成できません。

9. 療養に専念する義務
健康を損なった場合は、労働者には療養に専念する義務があります。
労働者は、療養のため欠勤・休職している場合は、労働契約上の信義則(労働契約法第3条4項 信義に従い誠実に、権利を行使し、義務を履行しなければならない)に基づき、療養に専念しなければなりません。
また通院・服薬を怠ったり、故意に体調を悪化させるような行為をしてはいけません。
さらに、無理に労働することで、病気を悪化させてもいけません。

次に、労働者が自己保健義務を果たせていなかった場合にどうなるのでしょうか。

労働者が自己保健義務を果たしていない場合でも、労働者に対しての法的な罰則や罰金等はありません。
それは、あくまで努力義務であるため、法的な強制力も伴わないからです。
労働者が自らの健康維持に努めなかったがために自分の健康を害しても、労働者は刑罰を受けないというのはわかります。
ただし、自己保健義務を果たしていなかった場合に、労働者は刑罰以外で以下のような不利益を被るおそれがあります。

1. 懲戒処分 →自己保健義務違反で、懲戒処分をうけるおそれがある
自己保健義務違反が、会社の就業規則の懲戒事由に該当する場合で、違反の程度と制裁の内容が相当である場合。
ただし客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、権利濫用として懲戒は無効。
違反内容が悪質である場合を除き、自己保健義務を果たしていないと事業者が判断した場合でも、その事実のみでは労働者への懲戒処分は難しいケースが多い
と言われています。

懲戒処分が適法と認められた判例

・最高裁平成13年判決
健康診断におけるX線検査の受診を拒否した学校教諭を、減給処分としたことは、
X線検査が相当でない健康状態とはいえず適法である。

・最高裁昭和61年判決
指定病院での精密検診を拒否したのを理由に、戒告処分としたことは、医師選
択の自由を妨げていないので適法である。

2. 過失相殺 →損害賠償請求で過失相殺される可能性がある
過失相殺は、損害賠償について、当事者の過失割合を考慮して金額を調整することをいい、労働者に自己保健義務違反があれば、民法418条によって裁判所はその過失を斟酌して賠償額を定めます。
従って、労働者に過失がある分だけ、損害賠償金が減額されることになります。

これは、労働者にも過失があったときは、公平又は信義則の観点から損害賠償の金額について労働者の過失を考慮して減額する制度です。

過失相殺となった裁判例

・脳梗塞で死亡
高脂血症、飲酒等の身体的素因、生活習慣も原因、また健診時の指摘に関わらず未治療で、2/3の過失相殺

・脳出血で死亡
健診結果通知で、高血圧で要治療、精密検査の指示を無視し未治療で、5割の過失相殺

・くも膜下出血で死亡
健診結果通知で、高血圧で要治療、通院・服薬を継続しなかったこと等で、3割の過失相殺

3. 労災認定 →認定要件の1つ「業務起因性」に影響を与えます
業務起因性とは、ケガや病気の原因が仕事(業務)にあるのかどうかという要件で、業務に起因する(業務と疾病との間に相当因果関係がある)ときは、労災の認定を受けることができます。
しかし、業務とは別に原因があるときには、労災認定は受けられません。
労働者の自己保健義務違反があると、業務以外(私生活)にも原因があると評価され、違反の程度によっては、相当因果関係が認められないケースも出てくる可能性があります。

自己保健義務の内容をよく理解し実行させることで、自分の健康は自分で守るという職場風土をつくりましょう。
そのためには、まず自己保健義務を周知することが必要で、いろいろな教育・研修等の中に盛り込んでおきましょう。
しかし、周知だけでは、なかなか実践には結びつき難いので、就業規則に自己保健義務に関する項目を入れておくのがよいでしょう。
意識づけにもなりますし、研修・教育の場でも使えます。

以上、自己保健義務の法的根拠、内容、違反時の過失相殺等についてお話ししてきましたが、学説や判例等で流動的なところもありますのでご留意ください。

厳密にいえば、「自己保健義務」と言う言葉そのものは、法令で定義されたものはありませんが、法の趣旨や裁判例、労働契約での信義則からして、法令上確立した概念となっています。

労働者は、自分の健康は自分で守るという自己保健意識と、それに沿った日々の健康行動(実行)が求められ、事業者は、労働者が自己保健義務を意識し、実行しやすい環境づくり(THP、快適職場づくり等の推進)を行うことが大切です。

参考までに、人生100年時代を健康で生きていくためには、セルフメディケーションが必要と言われています。
世界保健機関(WHO)では、これを「自分自身の健康に責任を持ち、軽度な身体の不調は自分で手当てすること」と定義しています。

臼井繁幸 産業保健相談員(労働衛生コンサルタント)

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