2025年03月
今回は、硫化水素の恐ろしさを、最近の災害事例(大惨事)から見ていきます。
硫化水素は、ご家庭や職場等の身近な所に存在(発生)します。
これに気付き、適切に対処しなければ事故・災害に繫がります。
どのような所に存在し、どのような性質を持っているのかをよく知って、適切に対処していくことが必要です。
これから紹介する大惨事も、硫化水素の特性である「有毒性」と「腐蝕性」に起因したものです。
Ⅰ. 道路陥没、トラック転落 (2025年1月28日)
埼玉県八潮市の県道の交差点の道路が陥没(約直径10m、深さ5m)し、通行中のトラック(運転手1名乗車)がこの穴に転落した。
道路陥没の原因は、陥没箇所の約10m下を通る下水道が破損し(下水から発生した硫化水素による腐食等)、この破損個所に徐々に土砂が流れ込み、道路の下に空洞が生じていた。
この空洞ができた路面を車両等が通行していたが、荷重に耐え切れなくなり陥没したものと考えられています。
硫化水素による腐食等
下水(汚水)中には、生ごみや排水等に由来する有機硫黄化合物(蛋白、アミノ酸等)や硫酸塩等が多く含まれています。
これらが腐敗・分解することや硫酸還元菌の作用によって硫化水素が発生します。
しかし硫化水素そのものが、下水道管を腐蝕させるのではなく、発生した硫化水素が、空気と接触することで硫酸となり、これがコンクリートや鉄筋を腐蝕させます。
従って、年毎に腐食が進行(老朽化)していきます。
この下水道管は、設置から50年以上経過していたようです。
高度成長期以降に整備された道路橋、トンネル、河川、下水道、港湾等のインフラの維持管理・更新等の老朽化対策が重要課題です。
○職場のインフラは大丈夫でしょうか。
老朽化の進展に対応した点検方法・内容になっているでしょうか。
また、被災者救出を阻んだものが2つ(下記)あったそうですが、ここにも硫化水素が影響しています。
1、下水道管内を流れる大量の水とそのスピード(人の力では対応できない流速)
2、下水道管を流れる汚水から発生する硫化水素の濃度が非常に高かった。
(硫化水素中毒の懸念)
作業で、汚泥等をかき混ぜる等の行為をする場合は、次の理由で、硫化水素の噴出に注意が必要です。
1、硫化水素を生成する反応が促進される。
2、汚泥に溶け込んでいた硫化水素が一挙に噴出する。
次に、「下水道の汚泥をかき混ぜた際に発生した硫化水素による中毒死」の事例を紹介します。
(発生状況)
本災害は、下水道マンホール内の汚泥の調査・除去作業中に発生した硫化水素による中毒死です。
作業手順は、まず、下水管の上流側を堰き止め、次に、160m下流側の下水管を堰き止めた後、上流側マンホールより水中ポンプを入れ、下水を汲み上げる。
その後、マンホール内に入り、下水管内に堆積した汚泥を調査し、バキューム等を使用して管内の汚泥を掘り取り及び清掃を行う。
最後に下水管内のクラック、変位等の調査を行う。
災害発生当日の作業は、4人で行われていた。
下水の堰き止め作業終了後、水中ポンプで下水の汲み上げ作業を行った。
作業開始約1時間後に下水がほとんどなくなったので、被災者Aは、マンホール(深さ約13m)内部のステップを利用して、マンホールの底まで降りた。
そこで片足で底にたまっていた泥状の沈殿物をかき混ぜ、泥のたまり具合を調べた。
その後、ステップを登り始めたが、少し登ったところで、大声を発してマンホール底部に転落した。
レスキュー隊が、約30分後に被災者Aを救出したが、1時間後に病院にて死亡した。
原因
(1) 被災者Aが、下水沈殿物であるヘドロを足でかき混ぜた際に、沈殿物中から空気中に高濃度の硫化水素が噴出し、それを吸入した。
災害発生約2時間後、マンホール8mの地点で、35ppmの硫化水素が検知された。
(2) 作業開始前に硫化水素濃度を測定していなかった(測定器具の備付もなし)
(3) 作業場所の空気中の硫化水素の濃度を10ppm以下に保つような換気がなされていなかった。
(4) 墜落制止用器具を使用させていなかった。
対策
(1) 酸素・硫化水素の濃度測定器具を備えておく。
(2) 作業開始前に、危険場所の酸素及び硫化水素の濃度を測定し、酸素の濃度を18%以上、硫化水素濃度を10ppm以下に保つよう換気を行う。
(3) 汚泥等がある場合には、作業中に高濃度の硫化水素が発生するおそれがあるので、呼吸用保護具の使用等の適切な措置を講ずる。
(4) 作業者に、酸欠・硫化水素中毒の防止に関する教育(特別教育)を徹底する。
(5) 常時、作業状況の監視等による異常の早期発見及び適切な処置を行う。
(6) 作業者が酸欠等にかかって転落するおそれのあるときは、墜落制止用器具を使用させる。
(7) 作業現場ごとに、非常の場合に作業者を救出するため必要な空気呼吸器、避難用具等を必要数備えておく。
硫化水素は、常に火山や温泉から空気中に放出されています。
Ⅱ. 源泉管理のために山に入った男性3人が硫化水素中毒死 (2025年2月18日)
福島市の高湯温泉で、2月18日、温泉の「源泉」を管理するため、山に入ったホテルの支配人ら3人の男性の行方がわからなくなっていました。
捜索の結果、源泉への山道の入口付近の硫化水素等の火山ガスがたまりやすい雪の窪地で倒れているのを発見しました。その後に。3人の死亡が確認されました。
さらに、その後の警察の詳細な調査結果で、死因は硫化水素中毒とわかりました。
3人は源泉に向かう途中か、または管理作業中に倒れたとみられ、3人とも同じ場所に倒れていたことから、先に倒れた人を救助しようとして自身も被災するという「二次災害」も起こったのではないかとも考えられています。
一帯は、2月はじめからの記録的な大雪で、背丈ほどの積雪があり、18日午前も雪でした。3人が倒れていた窪地状の場所は、雪に囲まれ、空気より重い硫化水素が高濃度で溜まりやすい環境でした。
(雪が降ると窪地も出来やすく、そこにガスがたまりやすくなります)
同種の災害が、2015年に秋田県仙北市の乳頭温泉郷付近の源泉施設で起こって、3人が死亡しています。この場合も二次災害が起こっています。
発生状況の概要は、次の通りです。
乳頭温泉郷で「仙北市の職員ら男性3人が倒れている」との通報があり、駆け付けてみると、3人は心肺停止の状態であり、3人とも死亡が確認されました。
その後の第三者調査委員会報告では、積もった雪の中に滞留していた硫化水素ガスを職員らが吸ったことが原因で、事故現場ではガス抜き管が地面に出ており、その上に数メートルの雪が積もっていました。
管から漏れたガスの熱で、管の周りの雪が溶けて空洞ができ、ガスが滞留しやすい環境になっていました。
職員らは、雪をかき分けて作業していた際に、空洞に滞留していたガスを吸い、中毒死したとみられています。亡くなったのは、作業員2名と市職員1名。
災害に至った経緯
災害現場は、市が管理する源泉で、「温泉の温度が下がっている」との連絡があり、市職員2人を含む4人がパイプに詰まった空気を抜く作業をしていた。
作業を終え、近くに置き忘れた荷物を取りに行ったところ、作業員2人が源泉近くの窪地(約200m離れた地点)で急に倒れた。助けようとした職員も倒れた。
これを見たもう一人の職員が通報した。
気象条件の変化で、職場に今までになかったリスクが生じることがあります。
今回の事例では「雪」です。
寒冷、猛暑、大雨、暴風・・・等、地球温暖化に伴い激しい気象変化が想定されます。
リスクアセスメントの際に、必ずこれらを考慮しておいてください。
被災者を助けようとして、自分自身も被災してしまう「二次災害」は、酸欠・硫化水素中毒で多く起こっています。
慌てずに、まず自分自身の身を守ってから対処するように、職場で起こりそうな災害を想定して、日頃からの訓練が大切ですが、十分に出来ていますか。
Ⅲ. 硫化水素
1.安衛法
安衛法では、特化則第3類物質としての規制を受ける他、硫化水素発生危険場所(令・別表第6)として、以下の2つの場所を挙げ、作業環境測定や作業主任者の選任、保護具着用、換気の実施、作業従事者に特別教育の実施、退避,救出用具の備付等を義務付けています。
○海水が滞留しており、若しくは滞留したことのある熱交換器、管、暗きよ、マンホール、溝若しくはピツト又は海水を相当期間入れてあり、若しくは入れたことのある熱交換器等の内部
○し尿、腐泥、汚水、パルプ液その他腐敗し、又は分解しやすい物質を入れてあり、又は入れたことのあるタンク、船倉、槽、管、暗きよ、マンホール、溝又はピツトの内部
硫化水素は、自然界では、火山や温泉から空気中に放出されています。
一方、自然界の嫌気的(酸素がない)環境下では、硫酸還元菌の働きで、硫酸や硫酸塩を分解・還元して、硫化水素が常に生成されています。
(硫酸還元菌は、地球上にまだ酸素が無かった時代から生存しており、酸欠状態の地中、河川、湖沼、港湾等の汚泥中、下水沈殿物、パルプ工場等で繁殖し、硫化水素を発生させています)
2.主要な硫化水素発生危険施設・場所は、次のとおりです。
(1) し尿処理施設
し尿貯留槽内では、し尿中の有機硫黄化合物の細菌による分解で硫化水素が発生します。
し尿中には硫酸塩も含まれ、槽内が酸欠状態(嫌気性環境)になると硫酸還元菌の活動が活発になり、硫化水素が発生します。
(2) 腐泥
腐泥中には硫化物(硫化鉄等)が存在し、酸性環境になると硫化水素が発生します。
腐泥中の硫酸又は硫酸塩が、硫酸還元菌の活動で、硫化水素が発生します。
(3) 下水道
下水道沈殿物中には、含硫蛋白質、含硫アミノ酸、硫化ナトリウム等の硫黄化合物が含まれ、これらの分解や硫酸還元菌の作用、酸性化等で硫化水素が発生します。
(4) パルプ工場
パルプ製造過程で使われた硫化ナトリウム等に起因した硫酸塩等がパルプ液に含まれており、これらの分解や硫酸還元菌の作用、酸性化等で硫化水素が発生します。
(5) 清掃工場
清掃工場の残灰ピット中の灰には、ごみの焼却で生成した硫化物、硫酸塩等が含まれており、これらの分解や硫酸還元菌の作用、酸性化等で硫化水素が発生します。
(6) 海水利用施設(冷却水に海水使用等)
海水には、プランクトンはじめ魚介類貝類、海藻類等(蛋白、アミノ酸等の硫黄化合物)が繁殖しており、海水が干し上がると、これらが死滅・腐敗し、硫化水素が発生します。また、硫酸還元菌の活動を促し、硫化水素が発生します。
(7) 石油精製工場
石油に含まれる硫黄は、燃焼によって亜硫酸ガス等になり、公害の原因となるので、石油中から硫黄を取り除く必要があります。
水素と化合させて、硫化水素(ガス)として石油中から除去しています(脱硫装置)。
従って、脱硫装置からの漏れによって硫化水素が発生します。
(8) 温泉のメンテナンス作業、換気不良の(硫黄)温泉に入浴中にも発生してます。
家庭においても、入浴剤と洗浄剤の混合で、硫化水素が発生しますので、注意が必要です。
身の回りに、このような硫化水素発生危険施設・場所に相当するような所がないか、再点検・再確認をしましょう。
特に、下水管、排水タンク、浄化槽、ピット等、汚泥や液体等の処理・貯留施設、これにつながる配管、排水施設等の点検・清掃作業はありませんか。
3. 硫化水素の性質
硫化水素は、発生条件が特殊なものではないため、身近な所で、比較的発生しやすい気体です。
腐った卵のような特異的な強い刺激・不快臭のある無色、可燃性の気体です。
空気より重い(1.2倍)ため、低所・窪み等に滞留し高濃度になりやすい。
水溶性があるため、目・皮膚・粘膜に溶け込み刺激すると共に、吸収されて中毒を起こす。
人体への毒性が強く、金属やコンクリートを腐食する。
4. 人体への影響
○硫化水素は、肺や消化管から容易に吸収され、きわめて毒性の高い毒物です。
眼、鼻、喉の粘膜を刺激する。高濃度のガスを吸入すると、頭痛、めまい、歩行の乱れ、呼吸障害を起こし、死に至る。
管理濃度 1 ppm、 ACGIH(米国産業衛生専門家会議)が勧告する作業環境の大気中の許容濃度 1ppm(TWA:時間加重平均値)、5ppm(STEL:短時間暴露限界値)、日本産業衛生学会が勧告する許容濃度は、5ppm。
○硫化水素濃度と症状の概要
【10ppm以下】
臭気は感じるが、特に人体への影響はない。
【10ppm~50ppm】
濃度が高くなるにつれて臭気を感じなくなるり、目の粘膜への刺激等が現れる。
人体への重大な影響はないとされてる。
【50~600ppm】
眼や呼吸器の粘膜を通じて吸収された硫化水素は、低濃度では体内で無害化・排出され脳神経細胞を犯すには至りませんが、濃度とばく露時間によっては呼吸器に致命的な症状を与える。
【700ppm以上】
体内での無毒化作用が間に合わなくなり、硫化水素が脳神経細胞に影響を与え、意識喪失や呼吸麻痺等の致命的な急性中毒
が起こる危険な濃度。
○臭覚
硫化水素は濃度が高くなると臭わなくなる。臭っているうちに退避する。
【0.3 ppm】
誰もが臭気を感じる
【1~5ppm】
不快感が強くなる
【20~30ppm】
臭覚神経の疲労が起こり、濃度が高くなったことを感じなくなる
【100~300ppm】
臭覚が麻痺し、不快感が減少するため危険を感じなくなる。
○眼
眼の損傷は、眼の角膜水分に硫化水素が溶け込むことで起こり、角膜の上皮細胞が侵されると、視力障害や痛みが現れる
角膜は硫化水素濃度が50ppm程度で炎症・充血・腫張を起こし、痒みや痛みが現れ、水疱を伴い角膜混濁や眼底異常に至る場合もある
○呼吸器
鼻粘膜は、乾燥・痛みを感じる。そのうち鼻炎の状態になり臭気を感じなくなる。
さらに進むと、咽頭や喉頭にも刺激性の症状が現れる。
20~30ppmで、肺に刺激的な症状が現れ、
100ppm以上での連続ばく露で、気管支炎・気管支肺炎・肺炎等に進行し、肺水腫を引き起こす。
すると肺でのガス交換が出来なくなり、窒息が起こります。
肺水腫は、100ppmで48時間、600ppmで30分のばく露で発症のおそれがあるとされている。
○皮膚
皮膚に発疹や化膿が生じやすくなり、皮膚への刺激も生じる。
○神経毒
低濃度では人体の機能によって無害化されますが、無害化できる限界(700ppm)を超えると神経毒作用が起こり、1~2回の呼吸で呼吸麻痺という致命的な症状も現れる。
そして、脳神経細胞の破壊による様々な後遺症が残ることがあります。
最後に、繰り返しになりますが、
1. 職場のインフラは大丈夫でしょうか。
老朽化の進展に対応した点検方法・内容になっているでしょうか。
2. 気象条件の変化で、職場に今までになかったリスクが生じることがあります。
寒冷、猛暑、大雨、暴風・・・等、地球温暖化に伴い激しい気象変化が想定されます。
リスクアセスメントの際に、必ず考慮しておいてください。
3. 被災者を助けようとして、自分自身も被災してしまう「二次災害」は、酸欠・硫化水素中毒で多く起こっています。
慌てずに、まず自分自身の身を守ってから対処するように、職場で起こりそうな災害を想定して、日頃からの訓練が大切ですが、十分に出来ていますか。
4. 身の回りに、硫化水素発生危険施設・場所に相当するような所がないか、再点検・再確認をしましょう。
特に、下水管、排水タンク、浄化槽、ピット等、汚泥や液体等の処理・貯留施設、これにつながる配管、排水施設等の点検・清掃作業はありませんか。
臼井繁幸 産業保健相談員(労働衛生コンサルタント)
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