産業保健コラム

廣瀬 一郎 相談員

    • カウンセリング
    • カウンセリングルームこころの栞 主宰カウンセラー
      ■専門内容:カウンセリング全般
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「わたしたちのイリュージョン」

2019年02月


 “イリュージョン”と聞いて、みなさんの頭に真っ先に思い浮かぶのは何だろうか。おそらく、人が宙に浮く「人体浮遊」や動物が瞬時に消えるといった、いわゆる『ステージマジック』ではないだろうか。私も偶然テレビで目にした時には、何とか仕組みを突き止めようと、目を凝らして画面を見つめるものの、力及ばぬまま今に至っている。
 “イリュージョン”という言葉は、「錯覚」という意味を持つ。むろん、前述の『ステージマジック』も錯覚の一種に他ならないことは皆さんもお察しの通りだが、ここで心理学の分野に視点を変えれば “イリュージョン”は、われわれ人間の感覚や知覚の特性から作り出される、ある種の現象を指すものとなる。
 働く現場にシーンを移して説明しよう。私たちには、「自己愛」がある。そしてそれがゆえ、無意識のうちに自分に対して甘い評価をする傾向を持っている。例えば、仕事に関して「自分は(他の人より)能力が高い」、「(周りの誰よりも)まじめに誠実に頑張っている」といった具合に、ポジティブな方向に心が傾きを起こすのである。これを専門的には“ポジティブイリュージョン”と呼んでいる。
 「会社は自分を正当に評価してくれない」と一度たりとも感じた事がないという人は、果しているだろうか。人として無意識に、自然に抱く“ポジティブイリュージョン”に後押しされ、どんな職場でも、どんな仕事をしていても「(自分が望む)正当な評価」とのジレンマで私たちには多かれ少なかれの不満がつきまとう。ならば、“ポジティブイリュージョン”は、邪魔ものなのか?そう問われるなら、答えは「ノー」である。 
 自分の都合のいいように(偏った)認識を持つ事は、様々な環境に適応していく上でむしろ、大切な要素でもあるからだ。私たちは生きている以上、ストレスとは無縁でいられない。仕事に関連するストレス症候群には、程度の差はあれども、次の2つの要因がある。
 「低い自己イメージと少ない自尊感情」(自信の低下)と「現実把握力の低下」だ。こういったネガティブな方向への心の傾き “ネガティブイリュージョン”がストレス疾患の背景にはあるといえる。しかし、「うつ状態に陥るのはむしろ世の中をただ、ありのままに見ているだけだ」と主張する学者も存在する。そしてこの理論下では、むしろ、「健康」と言われる人々こそが、自分を過度に評価する“自己高揚バイアス”をもっているとなる。健康な人は将来に対して過度にポジティブで、うつ傾向の人は現実をより忠実に理解していると言う具合だから、ネガティブ思考にも一分の利で、これを“抑うつリアリズム”と呼んでいる。いやはや、心理学にも他分野同様、実に様々な主張が混在するのが常である。
 ステッキをかざせば資料が瞬時に出来上がるとか、指を鳴らす度、受注の電話が入るなど、そんな“イリュージョン”は起こらないけれど、ポジティブな、また、ネガティブなイリュージョンは、職場のみならず家庭においても、常に私たちの心の中に同居している。同居している以上、その性質をしっかりと理解しておくことは大事だ。共に暮らす家族の誕生日にうっかり大嫌いな食べ物でも贈れば、関係に亀裂が入ることだってあるのだから。

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