産業保健コラム

臼井 繁幸 相談員

    • 労働衛生工学
    • 第一種作業環境測定士 労働衛生コンサルタント
      ■専門内容:労働衛生工学
  • ←記事一覧へ

化学物質による職業癌-(1) 世界で初めて人為的に癌をつくったのは日本人、ノーベル賞は?

2022年11月


令和3年の人口動態統計(厚労省)によると、日本人の死亡数を死因順位別にみると、第1位は悪性新生物(腫瘍)=癌で 38万1497人、第2位は心疾患で 21万4623人、第3位は老衰で 15万2024人、第4位は脳血管疾患で 10 万4588人となっています。
また、癌による死亡者は一貫して上昇しており、全死亡者に占める割合は、26.5%になっています。
このように、一般疾病で重大課題である癌は、職業性疾病においても「職業癌」として深刻な問題となっています。
(職業癌とは、その職業に特有の発癌因子にばく露して生じる癌のこと)
そこで、職業癌について、その発見と人工的な生成、最近の発生状況と今後の対応等を調べてみましたので、ご紹介いたします。

1. 煙突掃除人の痛ましい歴史
煙突掃除で陰部に皮膚癌 (陰嚢皮膚の扁平上皮癌)が発生。
これが職業癌の最初の発見・報告です。

特定の癌が特定の職業に従事する人々に頻繁に起こることは、古くから知られていましたが、1775年に、イギリスの外科医・パーシヴァル・ポット(Percivall Pott)は煙突の掃除人(煙突の中に入って煤を掻き落とす)の陰部に皮膚癌が高頻度で発生していることから、癌の原因は、煙突掃除をする際に、煙突内の「煤」が陰部の皮膚を刺激し続けることによるものではないかと考え、これを論文にして発表・報告しました。
陰部の皮膚癌の発生が、「職業に関係があるのではないか」ということの初めての指摘でした。

これから250年程立った現在でも、事業場で、高頻度で特定のがんが発生し、原因調査をすると、職場で取り扱っている化学物質が原因であったというパターンを繰り返しています。
(1.2-ジクロロプロパンによる胆管癌、アルファ-ナフチルアミンによる膀胱癌)

話を煙突掃除人に戻します。
当時イギリスは、産業革命によって、石炭が多く使われるようになり、各家庭でも暖炉で石炭が盛んに使われていました。
暖炉の煙突には煤が溜まって効率が悪くなるので、定期的な煙突掃除が必要でした。
掃除の様子は、次のような記載があります。
一般家庭の煙道は、四角い、狭いもの(23cm×36cm)が普通であったため、掃除人の親方は、少年を雇い、煤掃除のために彼らを煙突内に登らせるようになりまた(クライミング・ボーイと呼ばれた)。
クライミング・ボーイは、孤児等の貧しい少年や、両親から人身売買で買ってきた少年も含まれていたとのことです。

少年達は、しばしば煙突内を裸で登り、皮膚を擦り切らせながら、膝や肘を使って進んでいた。
作業は危険で煙道に詰まったり、窒息したり、焼け死んだりする危険があった。
少年達の股に多量の煤がこびりつき、陰嚢の深いしわの奥に溜まっていった。
煤袋の下で眠り、シャワーや入浴等で体を洗うことは殆どなかった。
パーシヴァル・ポットは、煙突掃除後に体をよく洗った人では癌は少ないことを挙げ、煤が陰嚢のしわに残り、長く皮膚を刺激したことががんの原因であろうと推測しています。(教訓→有害物取り扱い時の洗身の重要性)

以上のことは、主としてイギリスで見られました。
ドイツでは、煙突掃除人の親方は、ギルドに属して、子供を働かせていなかった。
また、煙突掃除人は、ぴったりとフィットする保護服を着用し、陰嚢の下面に煤がたまるのを防いだ。(教訓→保護具の有用性と着用徹底)

ポットは、少年達の人生について次のようにコメントしています。
少年達の運命は非常に過酷なようだ。彼らは非常に残忍に扱われる。彼らは痣ができて焼けて窒息寸前になりながら狭く、時には熱い煙突に登らされる。
そして、思春期になると、きわめて不快な、痛ましい、そして致死的な疾患(癌)にかかりやすくなる。

さらに、ポットは煙突掃除人におこる癌の発生リスクや特徴を、次のように報告しています。
(1) 煤による刺激量が多いこと(ばく露量が多い)
(2) 煤に触れている時間が長いこと(ばく露期間が長期)
(3) 多量の煤に接してから癌が発生するまでには数年以上の期間がある。
   陰嚢に癌ができるまでに、約10年以上かかる(発症まで長期間を要す)
また、煙突掃除をやめても、陰嚢に癌はできることも指摘しています。

これは、喫煙による肺がん罹患リスクと同じ(喫煙本数×喫煙期間)であり、現在でも通用するものです。
このような経緯を経て、イギリスでは、1788年に「煙突掃除人とその見習いのより良い規制のための法律(煙突掃除人法)が可決され、煙突掃除人は8歳以上、親方が雇える見習いは6人までと制限されましたが、この法律は施行はされませんでした。

1775年にポットが最初の職業癌の報告を行って以降、コールタール、クレオソート油、ヒ素による皮膚癌や染料工場労働者の膀胱癌等、多くの職業癌が報告されるようになりました。
更に、芳香族アミンによる膀胱癌、マスタードガスによる肺癌、銅精錬工場の肺癌、石綿による肺癌・中皮腫等が報告されています。
職業癌は、全癌に対する割合が、試算によると4~5%程度となっています。

職業癌の原因物質の特定は、因果関係の判断が難しいこと、発癌に至るまでに数年から数10年と長い年月がかかること等のために難しくなります。
また、原因物質が明らかになっても、既にばく露した者に発癌がおこるという問題があります。

2. 兎の耳に癌 (世界で初めての人為的な癌)
上記のパーシヴァル・ポットが発見した煙突掃除人の陰嚢にできる皮膚癌にヒントを得て、東京大学病理学教室の山極勝三郎教授(以後敬称略)は、煤に含まれるコールタールを兎の耳に毎日塗り続け、1915年、世界で初めて人為的に癌をつくることに成功しました。

彼の業績は、NHK「歴史秘話ヒストリア」(2018.10.10放送)でも取り上げられて、「世界で初めて癌を作った男」、「20世紀はじめ、癌研究で世界のトップに立った医学者」、「日本人初のノーベル賞に最も近づいた男」、「がん研究の未来を切り開いた男」として紹介されました。

彼は、1986年(文久3年)、長野県上田市に生まれ、東京大学医学部を首席で卒業し、ドイツに留学、細菌学のコッホ、病理学のウィルヒョウという二人の大家に師事し、病理解剖学を学び、帰国後東京大学医学部教授として癌の発生に関する研究者となりました。

当初は、胃癌の発生、肝臓細胞癌についての研究を行っていましたが、その後、癌をつくることができれば、治すことも出来るとの考えから、人工的に癌をつくる研究に傾注していきました。
当時は癌の成因は不明であり、主たる説だけでも、「感染説」、「刺激説」、「素因説」等がありました。
彼は煙突掃除夫に、陰嚢の皮膚癌罹患者が多い(前記)ことから「刺激説」に着目し、研究を始めました。

実験は兎の耳にコールタールを塗擦(強く摩擦しながら・刺激を与えながら塗布)し続けるという単純で地道なものでした。
これはコールタールを扱う職人の手、顔、頭等に癌が生じることがあるという既知の事実に基づくもので、既に多くの学者が人工癌をつくろうと、コールタール塗布を試みましたが(期間が3ヶ月程度)、全て失敗に終わって、誰も成功していません
でした。

(1913年、デンマークのフィビゲルが、寄生虫に感染しているゴキブリをラットに食わせることによって胃癌をつくることに成功したと発表しましたが、後世、この実験は誤りで、癌は出来ていないことが指摘されました)

山極は、信念を持って継続し、助手の市川厚一(当時は研究室の特別研究生、後に北海道帝国大学教授)と共に、当時の常識を超えて、実に3年以上に渡って兎の耳にコールタールを塗擦し続け、1915年に、ついに組織学的に明らかな癌を人工的つくり出すことに成功し、山極・市川の連名で、東京医学会に発表しました。
当初、日本の医学会ではこの実験結果を信用する人は少なかったが、千葉医学専門学校の筒井秀二郎が山極の実験にならい、マウスの背中にコールタールを塗擦する方法によって、もっと高率に、しかも早く癌をつくることに成功したので、山極の実験が実証され、コールタールによる人工的発癌が世界的に認められるようになりました。
また、1930年、イギリスの研究者によってコールタールの成分の中から発癌性を持つ純粋な化学物質、「1,2,5,6ベンツピレン」が同定されました。

3. 100年前に日本人初のノーベル賞に最も近づいた男
山極は、1925年、1926年、1928年、1936年の4度にわたってノーベル生理学・医学賞にノミネートされましたが、選ばれることはありませんでした。
当時、彼と同様の癌発生研究をおこなっていた研究者(前記・デンマークのフィビゲル)は、ノーベル賞を受賞しているのに、彼は最後まで受賞することはできませんでした。

ノーベル賞の審査員2人のうち、ひとりは「人工癌は賞に値し、フィビゲルと山極の2人に授与すべきだ」と推薦しましたが、これに反対する審査員がおり、共同受賞とはならず、フィビゲルだけが受賞することになりました。
しかし、フィビゲルの実験に疑いを持つ者も多く、後に米国の医学者2人によってフィビゲルの実験で発生したものは癌ではなく、標本にも癌は残っていなかったと発表されました。
この時点で、人工癌の世界初の栄誉は山極のものとなりました。
1941年、東京で開かれた「世界ガン学会」の冒頭、会長が「世界の癌研究は山極博士によって開発されたのです」と述べ、幻のノーベル賞受賞者、山極勝三郎の功績がたたえられました。

日本人初のノーベル賞受賞者は、湯川秀樹(1949年受賞・中間子の存在を理論的に予言)ですが、これ以前に、業績はノーベル賞級ですが、ノーベル賞を受賞できなかった日本人学者は、沢山います(下記)。

1889年 破傷風菌の純培養北里柴三郎(内務省)
1894年 ペスト菌の発見北里柴三郎(伝研)
1897年 赤痢菌の発見志賀潔(伝研)
1900年 アドレナリンの結晶単離高峰譲吉(米国在住)
1910年 梅毒治療薬サルバルサンの発見秦佐八郎(伝研)
1910年 オリザニン(ビタミンB1)の発見鈴木梅太郎(東大農学部)
1913年 進行性麻痺患者の脳内におけるトレポネーマ・パリズムの証明野口英世(米国ロックフェラー研)
1914年 ワイル病スピロヘータの発見稲田竜吉(九大)

まだ、日本人の業績が正当に認めてもらえない時代だったのでしょうか?

4. 最近の職業癌の発生状況
令和2年度・職業癌の労災補償状況 (令和4年10月 厚労省発表)

石綿 → 肺がん   340
石綿 → 中皮腫   607
ベータ-ナフチルアミン → 尿路系腫瘍  1
オルト-トルイジン → 膀胱がん    1
1,2-ジクロロプロパン → 胆管がん 1
ジクロロメタン → 胆管がん   3
電離放射線 → 白血病、肺がん、皮膚がん、骨肉腫、甲状腺がん他  6
コークス、発生炉ガス製造工程 → 肺がん  3
クロム酸塩、重クロム酸塩製造工程 → 肺がん、上気道のがん   1
その他のがん  5
合計  986

最近は1000件前後(石綿によるものが大半)の職業癌の発生が続いています。

次回は、最近の職業癌の発生事例を紹介します。

臼井繁幸 産業保健相談員(労働衛生コンサルタント)

記事一覧ページへ戻る